大変な状況にある皆さんへ & 考えたこと色々

ちゃん mimu です!

さて、仮定法 第 2 弾に行く前に、どうしても書いておくべきだと感じたので...

 

今年の冒頭に、北陸の方で大きな地震がありましたね。僕は東京在住ですが、こちらの方も、それほど大きくはないにせよ、かなりの長い時間横揺れがあったので「これはただ事じゃないな...」と思っていたのですが、震源の近くでは震度 7 という相当の規模の揺れが襲い、しかも津波まで来るという事態だったようなので、本当に大変だったろうなと思います。

 

寒い中、いまだに避難生活を余儀なくされている方もたくさんいらっしゃり、かなり多くの方が亡くなっていて、たくさんの人たちが今もまだ瓦礫の中に生き埋めになってしまっている状態だということで... 報道で現況を耳にするたび、本当に胸が痛みます。

3.11 東日本大震災の時のように原発事故が起きなかったことがせめてもの救いです...

 

まずは、被害に遭われた皆様に心からお見舞いを申し上げます。また、今回の震災で亡くなられた方々にお悔やみを申し上げるとともに、心からご冥福をお祈りいたします。

 

日本が地震大国と言われるほど地理的に地震の頻発する国である以上、大きな地震の被害を受けることは避けられないわけですが、令和の時代は SNS をはじめとした情報通信技術の発展や、建築物, 交通インフラの強靭化の甲斐もあって、以前と比べてもかなり震災による影響は減ってきてはいるのだなとは感じつつ、それでも自然災害の被害を全く受けずに過ごすことはできないんだな... と、自然の恐ろしさと、人間の無力さを痛感しました。

 

また、このような大変な時に、インターネット上で「人工地震だ」など根も葉もない「デマ」を流したり、過度に不安を煽ったり、被災者を冒涜するような不謹慎な発言をするような人がいまだに一定数いることに、本当に悲しくなりました。

 

でも、インフルエンサーの方々をはじめ、多くの方々が募金をしたり、物資を送ることで支援をしたりする様子を見ると、他方で心が温かくなりもしました。

(微力ながら、僕の方でも募金をさせていただきましたので、少しでも支えになってくれたら嬉しいなと思います。募金は今もネットで行えます。リンクを以下に貼っておくので、みなさん是非...!!)

Yahoo!ネット募金 - クレジットカード、Tポイントで手軽に社会貢献!

 

募金・寄付 | じぶん銀行決済 | auじぶん銀行

 

【dポイントクラブ】被災地支援募金・寄付 - dポイントをつかう方法・つかえるサービス

 

令和6年能登半島地震災害義援金|国内災害義援金・海外救援金へのご寄付|寄付する|日本赤十字社

 

少し話は逸れますが、

英語を教えることを生業にする人間が、こういう時に出来ることはなんだろう... と考えていました。ここは日本なので、多くの方が日本語を話しますが、同時に日本語が不自由な海外からの旅行客の方々もたくさんいらっしゃいます。

我々は言葉がなければ、こういった有事に「何をすればいいのか」の道標を探すこともできません。「大きな地震がきます!身の安全を確保してください!」という緊急地震速報のメッセージも、「津波が来ます!逃げてください!」津波警報のメッセージも、全て「言葉」です。もっと正確にいえば、これらは全て「日本語が話せる人」に向けて発せられた「言葉」です。

もちろん、今はこういった言葉に対して、英訳がついてきたり、出来るだけ簡易な, 誰でも理解しやすい表現に変えたりして発信することで、誰にでも伝わるような工夫がされていますが、それも全ての情報に対してできることではありません。

だからこそ、SNS などのメディアをつかって、英語ができる人は英語で、中国語ができる人は中国語で、フランス語ができる人はフランス語で... 発信することが必要なんだろうな... と思い、拙いながら Twitter (X) で、色々と発信したりしました。

言葉の大切さと、言葉が地域や国によって分かれているというもどかしさ、そしてそれに立ち向かうための「第二言語習得」という営みの重要さを、そのためにも、自分のような「外国語教師」は存在しなければいけないんだなという、ある種の使命感みたいなもの (というとなんだか大仰に聞こえるかもしれませんが...) を、改めて強く認識しまたね。

 

さて、長くなりましたが...

被災地にいらっしゃる皆様、どうぞご無事で...

生きてさえいれば、いつか普通の日常は必ず戻ってきます。それまで、出来るだけ暖をとって、食べられる時に食べて、健康でいてください。

 

また、特に受験生などで先の見えない不安と闘っている方々、大学入試センターをはじめ、多くの機関で、被災地の受験生のためにさまざまな措置がとられています。今は安心して、身の安全なことを最優先に行動してください。勉強は余裕ができたらすればいいのです。余裕ができたらぜひ僕のブログをはじめ、色々なツールで勉強してください。ただし、スマホの充電は切らさないでね。情報は常に得られる状態にしてください。

繰り返しますが、生きてさえいれば今はいいのです。生きてさえいれば、いつだって受験はできるし、学校にもいけますから。

結に、皆さんのご無事を心からお祈りして、このブログを締めたいと思います。

 

地震

北陸

どうかご無事で...

仮定法の「法」とは...??

こんにちは!ちゃんみむです!

 

まずは、遅ればせながら、明けましておめでとうございます!昨年の末にスタートしたこのブログ、今年も言葉の不思議をたくさん解き明かしていければと思いますので、ご期待ください!

 

さて、新年一発目の今回は、「仮定法」の「法」という言葉についてお話ししたいと思います。

手前味噌ですが、ちゃんみむが学生だった頃はこの「仮定法」については高校に入ってから勉強したのですが、今は中学でも普通にやるらしいですね... 学習指導要領という、文科省が出している教師のマニュアル的なものが変わったことがきっかけなのだろうと思うのですが、驚きです...

 

さて、仮定法というと、仮定法過去とか、仮定法過去完了、それから、仮定法現在なんてものまであります。どれも名前からしてややこしくて、理解しづらいですよね...


「仮定」の部分はさておき、「法」ってなんでしょう。law ...? rule...? どれも違います。

実は 「法」 は言語学の用語で、英語では mood と呼ばれます。明解言語学辞典 (齋藤ら 2017) には、この定義について、


現実、非現実の意味的区別を、形態統語的に動詞の屈折などに義務的に反映させる文法範疇


と書いてありますが、うーん、やっぱり難しい。そして、僕が大学院生の時に、英語史の授業でこのタームを習った時には、


命題に対する心的態度


と言われたのですが、これもやっぱりちょっと難しい笑


では、実際の例を考えてみることにしましょう。仮定法というと、なんとなく if を使った表現だ!と考える方が多いような印象を受けますが、実はそれは誤解で、if を使っていても、if 節の中が現在形になっているものは「直説法」と呼びます。では、直説法と仮定法とで比較を行っていきます。


(1) a. If you are a student, you will get a 50% discount for what you buy.

学生さんは、購入品を 50% 割引でお求めいただけます。

b. If you were a student, you would get a 50% discount for what you buy.

もしあなたが学生さんだったら、50% off で買っていただけるんですけどね...


a. は、不特定多数に対してのアナウンスで、「学生に限ってではありますが、割引もありますよ」というふうに、「条件」をつけて、その条件下で起こることをその後に述べています。

 

一方で b. の場合は、特定個人に対して「学生だったら割引できたけど、あなたは学生じゃないから...」と言うふうに、遠回しに「割引できない」ことを伝えています。先述の通り、仮定法は「反実仮想」を表すので、「実際にはそうではないけれども...」ということを if に続けて持ってくるのですね。


もう少し端的にいうと、

 

a. は「学生に対して」の発話

b. は「学生ではない人に対して」の発話

 

なのです。

どちらも、主語が you, 補語が a student, そして肯定文なのに、動詞の「時制」が過去か現在かだけで、意味が真逆になってしまうのです。


ただ、「意味が真逆になる」と覚えてしまうと、余計にわけがわからなくなると思うので、こう考えてみてください。


学生に対して、「学生なら...」といえば、それは「事実」を述べているわけですが、学生でない人に対して「学生だったら...」といったらそれは「現実離れ」したことを述べていることになります。


そして、時制を「現在」から「過去」に変えるということは... 時間軸を... 「ズラす」わけですよね。「現在」から離れるということは、「現実, 現在」から「離れる」ということ。その「現実」からの距離を、「時制」を使って表すのが、「法」で、「ピッタリ現実」のことを話すのが「直説法」、「現実と異なること」を話すのが「仮定法」なのです。


この感覚で行けば、仮定法「過去完了」も攻略できます。

 

a. は、例えばあなたが学校に遅刻したとして「お腹がすごく痛かった」と理由を伝えた後に先生から言われたことを想定しています。

b. では、同じく遅刻をして電車を逃してしまった... と伝えて謝っている状況を想定しています。

 

(2) a. If you had a severe stomach ache, why didn’t you go to see a doctor?

b. If I had caught a train earlier, I would not have been late for school.


a. 「お腹が痛かった」も、「早い電車に乗った」も、過去のことですが、

前者では過去形が、後者では過去完了形が使われています。

 

a. は過去のことを表すために過去形を使っているのだから、直説法を使っていることがわかりますね。

その上で「お腹が痛かったなら、病院に行けばいいのに...」と事実ベースの話をしています。

 

b. では、過去のことを表すために過去完了形を使っています。

過去完了は、本来「過去」よりさらに「過去」のこと (学校の先生にはおそらく「大過去」などと習ったと思いますが...) をあらわすために使われます。

過去の時点より、前に軸をずらしているわけですから、「仮定法」で「事実ではない」ことを表していることがわかりますね!実際、この人は「1本早い電車に乗らなかった」から遅刻したわけですから、仮定法を使うべき場面ですよね。


では、次回は仮定法「現在」についてお話ししていきますので、乞うご期待!

 

#英語

#仮定法

#仮定法過去

#仮定法過去完了

文解釈の曖昧性 (最終回)

ちゃんみむです!前回まで、文解釈の曖昧性 (ambiguity) について書いていましたが、今回で最終回です!

これまでの話が気になる方は、前回・前々回の記事をご覧ください!

 

さて、今回は少し難し目な例を使ってみようと思います。

 

この記事を、どのくらいの年齢層の方がご覧になっているのかは分からないのですが、その昔、駿台予備校という有名な予備校に「伊藤和夫先生」という方がいらっしゃったそうです。東大受験をする受験生にとっては神様のような存在で、著書もたくさんあります。

その先生が予備校で実際に授業していらっしゃる様子が YouTube に上がっていたので、まずはそちらを載せますね。

 

www.youtube.com

 

今でいう「リスニング (Listening)」を「ヒヤリング (Hearing)」と書いたり、英文がブロック体ではなく筆記体で書かれていたりするところに非常に時代を感じますが... 

ここで解説されているのは、知らない人はいない日本の最高学府, 東京大学の 1989 年... つまり、僕が生まれる 10 年前の英語の問題で、「英文を和訳しなさいよ~」というやつでした。

 

問題文を載せます (引用元:0 からはじめる東大英語, 東大過去問 1989年 第 4 問 (和訳), 2020 年 1 月 29 日. https://tanakake-t-english.com/%E6%9D%B1%E5%A4%A71989-4)

 

(3)Some people are so changed by their life’s experience that in old age they behave in completely unexpected ways. Many of us know elderly men and women who no longer act as we have come to expect them to act. I am not talking here about victims of senile dementia*. In the examples I am talking of the person continues to behave in what most people would agree is a normal manner, but one so remote from his old self that he appears, to those who know him, to be someone else entirely.
 (注) *senile dementia:老年性痴呆

これの下線部を和訳してね~ という問題なわけですが、ざっと文章の全体をさらってみましょう。

Some people are so changed by their life’s experience that in old age they behave in completely unexpected ways.

世の中には、人生経験の中で、老年の行動を予期せぬ方向に動かしてしまうほど、大きく変わってしまう人がます。

Many of us know elderly men and women who no longer act as we have come to expect them to act.

お年寄りの方々で、我々が予期するようになど行動しない人たちを、おそらく多くの人たちが知っていることでしょう。

I am not talking here about victims of senile dementia.

ここで話すのは、「老年性痴呆 (という言い方は、今はもう古めかしいですね... 認知症のことです)」の犠牲者たちのこと... ではありません。

 

さて、ここまでで、この文章が、「昔と変わってしまったご老人」のことを話していることがわかりますね。

 

そして、問題の一文です。

 

In the examples I am talking of the person continues to behave in what most people would agree is a normal manner, but one so remote from his old self that he appears, to those who know him, to be someone else entirely.

伊藤先生の講義では、“thinking of” と言われていましたが、ここでは “talking of” になっていますね。どちらでも解釈にそこまで大きな影響はないので、今回はこの引用文のままでいきます(笑)

 

ここで受験生を悩ませたのは、伊藤先生もおっしゃるように、

“In the examples I am talking of the person continues to behave in what most people would agree is a normal manner, but one so remote from (...)." 

という前半部分ですね。

 

解釈の可能性としては...

[解釈 1] In the examples / I am talking of the person continues to behave (...).

ここで区切れるというものと、

[解釈 2] In the examples I am thinking of / the person continues to behave (...). 

ここで区切れるというものです。

 

まず、[解釈 1] の場合、早い段階で問題が生じてしまいまして...

I am talking of [the person [continues to behave]] (...).

例えば、こんな風に分析した場合、continues 以下は、関係節として the person を修飾しているという推論が可能なわけですが、その場合、

(a) I am talking of the person.

(b) The person continues to behave. 

省略されているであろう関係代名詞は、(b) の主語から派生したことになります。

主語から派生している関係代名詞は、実は省略することができないのです。

 

そのことを知っていれば、

In the examples I am thinking of. 

がひと塊で、それこそ "examples" と "I" との間に関係代名詞の "that" でも隠れているんだろうということがわかるわけです。

 

では、もしその知識がなかった場合... 

I am talking of the person continues to behave in what most people would agree is a normal manner, but one so remote from his old self that he appears, to those who know him, to be someone else entirely.

どうすれば、この文がおかしいことに気づけるでしょうか。

 

もう少し先まで解釈を進めていきます。

[解釈 1] I am talking of the person (who) continues to behave in what most people would agree is a normal manner. 

私は、一般的に (← what most people would agree/ほどんどの人が賛同するような) 「普通だ」と思われるような振る舞いのことを話そうとしているのですが (...) 

 

そうすると、そのあとに、

but one so remote from his old self that he appears (...). 

まず、but は等位接続詞と言って、前後には等しい位のものが来ないといけないですよね。

 

そうすると、「名詞句」と「名詞句」つまり、

“the person (who) continues to (...)" と "one so remote from (...)" をつなげていると考えられるわけですが、だとすると、絶対になくてはいけないものが欠けています。

 

それは、”not” ですよね。

I am not talking of the person who continues to behave in ~ manner, but the one so remote from (...). 

「私は、一般的に普通だと思える振る舞いをしている人の話をしているのではなく、昔の姿 (old self that he appears) とはかけ離れてしまった人のことを話しているのです」

だったら、まだ筋が通るんですよ。

 

この時点で、「あ、これ分析の仕方違うな...」と考えてほしいわけですね。

 

では、改めて、正しい解釈で訳してみます。

In the examples I am talking of

私が話そうとしているこの例では、

the person continues to behave in what most people would agree is a normal manner,

そのご老人は、多くの人が普通だと思うような振る舞いを (...) し続けようとするのです。

but one so remote from his old self that he appears, to those who know him, to be someone else entirely.

(normal manner の後に同格のカンマが来ているので、「振る舞い」のところに追加で説明が必要ですね。)

(...) の中身:しかし、あまりにも昔の自分とかけ離れてしまっているために、傍から見たら (= to those who know him ← 彼のことを知っている人にとっては) まるで他人のように見えてしまうのです。

 

後半もちょっと面倒な構造ですね... 

 

the person continues to behave in what most people would agree is a normal manner, but one so remote from his old self that he appears, to those who know him, to be someone else entirely.

 

なにがそんなに面倒かというと...

he appears to be someone else entirely (彼はまるで他人のように見える). 

これならわかりやすいんですよね。

この中に、

“to those who know him” なんて前置詞句が挿入されているから、面倒になるんですね...

 

はいっ、

ということで、解説してみました。

そもそもの文の複雑さもあるのですが、それに加えて Garden Path という名の曖昧性も生じてしまっているために、解釈が非常に難しい一文でしたね。

これがスラスラ読めるようになったら、もう怖いものなしです(笑)

 

では、長くなりましたが、今回はここまでにします!

最後までご覧いただいた方、ありがとうございました!

次回もお楽しみに!

 

 

文解釈の曖昧性 (その 2)

ちゃんみむです!先回の記事に引き続き、文解釈の曖昧性 (ambiguity) について掘り下げて説明したいと思います!

ambiguity ? なんじゃそれ ? 

と思った方は、先回の記事を改めてご覧ください!

 

今回は (も) とある歌詞を使って説明したいと思います。

皆様、「ゲスの極み乙女」というバンドはご存知でしょうか?

川谷絵音さんを中心に結成されたバンドで、風刺の効いた歌詞と、高度な演奏技術がたまらないバンドですね!

そして、その「ゲスの極み乙女」には、ちゃん MARI さんというキーボードの方がいます。僕の推しです (笑)。

その ちゃん MARI さんが、“FUKUSHIGE MARI” 名義でソロ活動をたまにしているのですが、昨年公開の「月の満ち欠け (Phases of the moon)」という映画の劇伴を担当していました。涙なくしては聴けない曲、そして涙なくしては観れない映画ですので、ぜひご覧になってみていただきたいのですが... その楽曲のひとつに “Reminiscence of Ruri” という曲があります (Reminiscence は、「回想」という意味です)。リンクを貼っておくので、よかったら一度聴いてみてください!

 

www.youtube.com

 

さて、この曲は、こんな歌い出しから始まります。

 

“The dark hugs the sky with no moon I rely on the stars by the sea I listen closely to the silence so deep so tranquil that I can't hear your wings at all my love my dear.“

 

おい!!ピリオドがないじゃないか!!

 

と思った方は、鋭いですね。そう、あえてピリオドを付けずに書いてみました。

 

では、皆さん、一度この文章を見て、ピリオドを振ってください。ちなみに、3つの文に分けることができます。

 

さて、まず最初の文ですが、さっそく 2 通りの「分け方」が考えられますね。

 

[解釈 1] The dark hugs the sky with no moon.

[解釈 2] The dark hugs the sky with no moon I rely on.

 

解釈 1 のほうは、「月のない空が暗闇を抱く」という意味、

解釈 2 のほうは、「もたれかかる月もない空が暗闇を抱く」という意味

でとらえられます。「もたれかかる (= 寄り掛かる)」という部分は、“rely on” という英語を訳したものです。

 

そして、解釈 2 の場合には、[I rely on] という S (主語) V (動詞) の塊 (節) が、“moon” という名詞を修飾しています。隠れていますが、関係代名詞の that でつながっているということですね。

 

では、解釈 2 のほうを採用して、次の文を分けてみましょう。

 

[解釈 1] The stars by the sea, I listen closely to.

 

そうすると、文解釈はこの 1 つに収まります。

これはいったい何が起こっているのかというと... 

もともと to の後ろにあった “the stars by the sea” が文の頭にカンマを隔てて移動してきたということです。

つまり、もともとの文は、

“I listen to the stars by the sea (海のそばの星に耳を傾ける)”

という形だったというわけです。

実は、このように、文の要素の一部を文の先頭に持ってくることはよくあることで、専門的な言葉で「主題化 (Topicalization)」 と呼んだりします。

日本語でも、

「君からもらったバームクーヘン、食べたよ。」

というのを、

「食べたよ!君からもらったバームクーヘン」

とかって言えますよね。

で、あえて「食べたよ」を文頭に持ってくるのは、おそらく

「相手が、バームクーヘンの行方を気にしているから」です。

「今、君のバームクーヘンはこういう状態だよ!」

という情報 (相手が持っていない情報;新情報) を先頭に持ってくるのです (ちなみに、「相手のしらない新しい情報を伝える」というのが、よく学校の先生とかが言う「強調」の正体です)。

さっきの英文に話を戻すと、

「私が何かにじっと耳を傾けて聴いている」ことはわかっているけど、「何」に耳を傾けているのか (目的語) が判然としないから、その中身を最初に持ってきているということです。

 

困るのはこの後です。残った部分は、

The silence so deep, so tranquil that I can't hear your wings at all, my love, my dear. 

(愛するあなたの翼の音も聞こえないくらい深くて静か (= tranquil) な静寂)

いや、粗品みたいな言い方!!!

じゃなくて...

これ、文じゃないですよね...?? The silence を中心とした、ただの名詞句です。

なので、最初のところで [解釈 2] を採用したことが間違いだった!ということが、ここで分かります。

それでは、[解釈 1] に戻って、もう一度解釈してみましょう。

 

[解釈 1] The dark hugs the sky with no moon. 

すると、この後は、

I rely on the stars by the sea. (海のそばの星に寄り掛かる) 

となります (I listen closely to を付け加えてしまうと、I rely on とダブってしまうので...)。

そうすると、最後は

I listen closely to the silence so deep, so tranquil that I can't hear your wings at all, my love, my dear. (私は、愛するあなたの翼の音も聞こえないくらいの深くて静かな静寂にじっと耳を傾ける) 

と、すっきりと収まるのです。

 

このように、最後まで行ってやっと個々の文の解釈が定まる... 逆に言うと、最後の一文の解釈を定めるまで、文の解釈の可能性が「枝分かれする」ことを、”Garden Path 効果" と呼びます。

 

... もう一つ別の例を紹介したかったのですが、やはり文字数がかなり多くなってしまったので、その (3) に続きます!

 

では、次回も乞うご期待!

 

 

文解釈の曖昧性 (その 1)

ちゃんみむです!寒くなってきましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

さて、今日はタイトルにもあるように、「曖昧性」について書きたいと思います。

 

曖昧とはつまり「はっきりしない...」 という意味ですが、実は英語では、一口に「曖昧」といっても、細かな区別があります。

 

具体的に言うと、“vague” と "ambiguous” というやつなのですが、これだけだとパッとしないと思うので、ちょっと具体例を挙げますね。

 

(1) love 

皆さんは、この単語を見てどんな事を感じますか?

love は、日本語では「愛」という訳が与えられます。では、「愛」とはなんでしょうか?たとえばお友達に

 愛が足りない!!

となんの脈絡もなく言われたらどうしますか?

一つには、

その人の恋人になってくれそうな友達を紹介する

というのが挙げられますね。つまり、「恋愛」の「愛」が足りないという解釈をする場合です。

それから、

もしかして、自分はちょっとこの人に冷たくしすぎたのかもしれない...

と日頃の行いを反省するかもしれません。つまり、その人に対して「愛を持って接する」という意味での「愛」です。

はたまた、

この人、もしかして虐待を受けているのかもしれない...

と、心配になるかもしれません。つまり、親が子どもに十分な「愛情」を注いでいない、いわゆるネグレクト的なことが起きているのではないか... ということです。

こんな風に、一口に「愛」と言っても、それ自体の意味が広すぎるために、意味が定まらない... こういうのを、“vague” といいます。

 

では、こんな場合はどうでしょう?

 

(2) マリの友達には、幼い子どもと犬がいる。

では、質問です。次のうち、幼いのは誰ですか?

① 子ども ② 犬 ③ 子どもと犬

「幼い」は形容詞で、名詞を修飾します。基本的には、形容詞と隣り合った名詞は修飾の対象になりますから、「子ども」を含まない ② 犬 は間違いであることがわかりますが、① と ③ は迷いますよね。というか、答えが定まりません。

このように、文の中で、修飾関係の解釈が複数個存在する (多義的である) 時、その文ないし、句は “ambiguous” であるといいます。

 

特に、文や句の構造が曖昧である (ambiguous である) 時は必要な解釈が導きづらくなってしまうため、何か文章を読んでいてこういった「曖昧な」表現に出くわした時には前後の文脈に気を配る必要があるのと同時に、自分が書き手になった時には、できるだけこういった曖昧な表現を使わないように注意することが必要です!

 

このあと、ambiguous の例を挙げようと思ったのですが、思ったより文字数が多くなったしまったので、具体例はこれとは分けて紹介したいと思います!

 

それでは、今回はいったんこの辺で!

最後までご覧いただいてありがとうございました!

続編もお楽しみに!

「あなたの恋人になりたい/チョーキューメイ」を英訳すると...??

ちゃんみむです。さっそく何か英語についての記事を書こうと思いまして...

今回は一時期あちらこちらで耳にした「チョーキューメイ」というバンドの「あなたの恋人になりたい」という曲を題材にしたいと思います。

裏拍のアクセントが気持ちいい曲ですね👌

リンクを貼っておくので、ぜひ聴いてみてください。

https://youtu.be/0GZtQT6uBCg?si=J5NNOE-1ZkU7Lwvz

 

さて、早速ですが、この曲のサビの一節 「僕はいつかあなたの恋人になりたい」を考えてみましょう。英訳するとどうなるでしょうか。

まず、「恋人」というのは、曲の文脈的に「あなたが愛する人」と置き換えて "one you love" とでもしておきます。その上で、

せっかくなので 2 択のクイズ形式で、以下から正しいと思うものを一つ選んでください。

 

① Someday, I want to be a one you love.

② Someday, I want to be the one you love.

 

さて、a one なのか、the one なのかという話ですが... どちらが正しいでしょうか。

答えは...........

 

そう、② ですね!

では、なぜでしょうか。

 

a は、文法的には「不定冠詞」とよばれます。つまり「具体的にコレってわけじゃないよ」という意味です。

the は、逆に「定冠詞」とよばれます。「色々ある中でも、コレだよ」ということですね。

(「定」と「不定」という話は、実は英文法の世界では非常に大切な概念になりますので、ちょっと頭の片隅にしまっておいてください)

 

たとえば、スマホを買いたいとします。スマホにはいろいろな種類がありますね。iPhone, Galaxy, Xperia, Google pixel, AQUOS などなど。

その中でも 「Apple が作ってるスマホ (最新のやつ) で、価格が1番安いやつが欲しいんだよ!」と家電量販店の店員さんに言ったとします。

店員さんは何を持ってくるか迷うでしょうか。おそらくなんの戸惑いもなく iPhone SE を持ってきてくれますね。

こういう時には、smartphone の前には the をつけます。

"This must be [the] smartphone you are looking for."

こんな感じですね。

でも、「画面が綺麗なスマホがいいの。」と言ったらどうしますか。今のスマホは大抵画面が綺麗です... すると次に「出来るだけ安いものがいいわ」と言ってきました。そうなると、android スマホになるかなぁ... 比較的コスパのいいやつ... 「お客様が気に入りそうなものを探して参ります。しばしお待ちください...」

こういう時は、「色々ある中のひとつ (具体的にどれかはまだわからない)」という意味で不定冠詞を使う必要があります。

"Please wait for a moment.  I will go and find [a] smartphone that you might like."

こんな感じですね。

 

その上で、

I want to be [a] one you love.

がなぜまずいのかを考えましょう。

"a" は、名詞句 "one you love" にかかっています。つまり、「あなたが愛している、たくさんいる人の中の1人」という意味になってしまうのです。つまり、愛人です... かなり泥沼な展開になりそうな気がします...

でも the を使えば、「あなたが愛しているまさにその人になりたいんだよ」ということで、正真正銘の、たった1人の 「恋人」 という意味になるのです。

 

冠詞は奥が深いですし、そこそこ上級の学習者の中でも、ライティングでどちらを使えばいいかを迷うシチュエーションは多々あると聞きますが、ぜひ違いを知る一助になれば幸いです。

 

それにしても、若々しくていいですよねこの曲。まだ 24 歳の若造がこんなこと言っちゃいけないかもしれませんけど、昔が懐かしくなりました...

 

最後まで見てくださりありがとうございました!

今回は以上です🫡 

はじめまして

ちゃんみむと申します。都内の学校で英語を教えています。

「ちゃんみむ」の由来は、僕の大好きなバンド「ゲスの極み乙女」のキーボード、「ちゃん MARI」さんです笑

僕は去年まで大学院の修士課程に在籍していて、2023 年 3月に、無事に修士号 (MA) を取得することができました。

専門は言語学や、第二言語習得。つまり、言葉の不思議を探ったり、人が母語以外の新しい言語を学ぶメカニズムを探ったりする、そんな学問を専攻していました。

このブログでは、学生時代から学んできた英語のあんなこと、こんなことを出来るだけわかりやすく、そして正しく... 語りたいと思います。興味のある方はぜひご覧になってください😌

どうぞよろしくお願いいたします。